「経営危機にどのように対応するか」を武道的視点で考えてみる
少し落ち着きつつあるコロナ禍ですが、この自然災害を機に、あらためて経営における危機管理について考えたビジネスパーソンが相当数いたのではないでしょうか。前回コラム『「ビジネスでチャンスを掴む」を武道的視点で考えてみる』に続き、今回のコラムでは「経営危機にどのように対応するか」について、武道的な視点から思うことを書いてみようと思います。
経営において、危機はどのように出現するのでしょうか。たとえば、資金繰りに行き詰まるというような単一の危機だけでなく、社員がSNSで好ましくない発言をして炎上してしまったり、自社システムが大規模障害を起こしてしまったり、信頼していた幹部が自分の部下を引き連れて一斉離職したり、社長が病気で倒れてしまったり、というように同時期に連鎖的に複合的に危機が襲ってくる場合があるかもしれません。あらゆる可能性を想定して準備できればよいのですが、コスト面から考えても、そのような準備を完璧にしておくことはあまり現実的ではない気がします。そこで、武道的視点から、このような経営危機にどのように対応すればよいかを考えてみたいというのがこのコラムのテーマです。
武術を“ 危機から身を守るための術 ”として考えるなら、敵の攻撃を躱すためには「空間的に、かつ時間的に、いかに点を外すか」を探求することになる、ということを前回コラムで書きました。点は急に出現するのではなく、通常は点が出現する兆しがあります。敵と相対した場合、敵の腕がピクッと動いたり、軸足が微動したり、視線が動いたり、着物の擦れる音がしたり、などの兆しを察知したら、頭で考えることなく(考えていると攻撃を躱すのが間に合わなくなるため)身体が勝手に点を外す動きができるように稽古します。厄介なことに、敵の攻撃は一撃とは限らず、連続攻撃してきたり、フェイントをかけてきたり、兆しを察知されないような工夫をしてきたりします。また、敵は一人とは限りません。知らない間に敵に囲まれている、というような状況も想定するわけです。このような危機に対して「どのように対応するか」。対応ということばは「考えて対処する」というニュアンスがあるのであまり適当ではなく、「どのようにふるまうか、どのような身のこなしをするか」というほうが実態に近いかもしれません。“察知即受け(そして即反撃)”という一連の動きを稽古するのです。
私たちの身体の中には60兆個の細胞があるといわれており、それらの細胞(または細胞の集合)の中には様々な兆しを感知できる器官があるのですが、長らく使ってなくて眠っていたりするものもあります。武術の稽古は、身体の使い方や動かし方だけではなく、私たちがもともと持っている身体のセンサー機能を覚醒させる作業を行っているともいえます。みなさんは食べ物の匂いを嗅いで「これは腐っているから食べたら腹をこわすかもしれない」などが分かりますか。電車やバスの中で怒った様子でブツブツ独り言を喋っている視線が定まらないような人を見て「危なそうだから近づかない方がいい」と感じることができますか。食べることも稽古、いろんな人と会うことも稽古です。
さて、連鎖的に複合的に経営危機が襲ってきた場合、経営者や社長がどんなに優秀であっても、ひとりで対応するのは不可能です。そこで武術的身のこなしのごとく、危機の場合は従業員や現場が、経営者の指示を待つことなく動けるような体制作り、現場に100%の判断権限、決裁権限、行動権限を与える体制作りが必要になってきます。初歩的なことですが、これが最も難しいのではないでしょうか。なぜ難しいかというと、従業員や現場に対し、経営者自身が100%の信頼を置くことがなかなかできないからです。
武術の稽古でも同じです。たとえば30cmほどの高さからジャンプして着地する場合と、目隠しをしてジャンプして着地する場合では怖さの度合いが違います。たった30cmにもかかわらずです。現場に100%の権限を与えるとは、このように目隠しをしてジャンプするのと同じく、とても怖いことなのです。
この怖さは本能的に私たちの身体に刷り込まれているのですが、いろいろな方法でこの怖さのロックを外すことができます。ヨガや瞑想のときに、頭、顔、首、肩、胸、腕、腹、脚、ふくらはぎ、足首、足の指先というふうに、順番に体の個所に意識を持っていき観察していくようなことをします。スキャナーでスキャニングするようなイメージでしょうか。このとき、体の個所に「気を付ける」イメージで観察する人がいますが、そうではなく「気を配る」というイメージで観察してみると、体の個所が自分と同化し、体の個所ではなく身体の一部という感覚になり、うまく表現できませんが、体の個所に一種の信頼感が持てるようになることがあります。また、目隠しをして自分の家の中を歩いてみるという方法もあります。できるだけ物が散らかった状態の家の方がいいです。「足元に気を付けて歩く」場合よりも、「足元に気を配りながら歩く」場合の方が、自分の歩くという動作に信頼が持てるのではないでしょうか。これがロックが外れた状態だと、私は現時点で理解しています。
経営も同じですが、経営者が「気を付けて」従業員や現場を見ている段階では、現場に100%の信頼を置くことはできません。従業員や現場に「気を配る」ことができるようになると、自然と現場に対しても信頼感や安心感を持てるようになります。「気を配る」というのは「現場に配慮する」というだけではなく、「気」という感知センサーを現場に配っておき、社内の出来事に対して常にセンサーを張って感度を上げておく、というイメージで捉えていただいた方がいいと思います。
余談ですが、私のような武術未熟者の場合は、「出現した兆しに対してどのようにふるまうか」というレベルですが、達人の場合は次元が違います。門人に「今日の昼過ぎに●●さんが私を訪ねてくるような気がするから、食事を用意しておくように」と指示をしたら、本当に●●さんがやってきた、というようなことがあるようです。 達人は兆しの前の兆しを感知しているのでしょう。 Wow!