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元音楽ディレクターが考える「経営危機にどのように対応するか」

元音楽ディレクターが考える「経営危機にどのように対応するか」

今回のコラムはあくまでも私の経験や考えであって、私以外の音楽P(プロデューサー)や音楽D(ディレクター)がどうなのかは私の知るところではありませんのでご容赦願います。だいたい似たようなものだとは思いますが。

音楽Pが、自分の担当するプロジェクトで自身が音楽Dとしてレコーディングディレクションすることはよくあります。レコーディングの日に経営会議やプロデューサー会議が重なってしまった場合、Pは他のDに代役をお願いし、レコーディング現場を任せます。あたりまえですが、代役としてDを会議に出席させることはありません。

私がDからPになったすぐの頃、私は現場が好きすぎて、レコーディング現場に行って会議をすっぽかすようなことがよくありました。あとで上司に怒られるのですが、怒られそうになったら「次の現場がありますので」と言って退席したりしていました。社会人としていかがなものかと思うのですが、当時のレコードメーカーや音楽プロダクションには、そんな連中がたくさんいました。ある意味、懐が深い業界だったのです。ですがやはり会議は重要で、会議に出席して自社の状況を知っておくとか、他社情報を得ておくとか、宣伝や営業や事務の人たちと意見交換しておくことが重要だ、ということに気づくのに半年ぐらいかかりました。

音楽Dは基本、経営ということはあまり考えないかもしれません。フリーランスの音楽Dが会社を設立して社長になるときは、多くの場合、収入が多すぎて株式会社にした方が税法上お得だ、というときです。ですから、資本金は出すけれども、社長業は誰かに任せて、自分は音楽Dに専念したい、と考えます。レコーディング自体が中止になったり、プロジェクトが急に無くなったりということは、ときどき起こります。そんな場合は次のプロジェクトを探すか、自分でプロジェクトを創るか、という選択になってきます。音楽Dにとって経営危機とは、自分が倒れてしまって仕事ができなくなったときか、コロナ禍のような長期の活動自粛を強いられるような状況になってしまうことです。

コロナは仕方ないとして、それでは音楽Dは自分が急に倒れたりすることがないように人一倍自分の健康に注意を払っているのかというと、ほとんど真逆の現象が起きているのではないかと思います。当時の私はこんな感じでした。スタジオという空気の悪い空間の中で一日中煙草を吸いながら(今では煙草はやめましたが)、テーブルに用意してくれているお菓子やチョコレートをつまみながらブラックコーヒーを飲み、楽譜とにらめっこ、スピーカーで音の確認、という一日中座っての作業。スタジオに缶詰め状態で外に出られないので弁当を頼むのですが、「今日は疲れたからちょっと豪華にうなぎでも食べようか」などといってミュージシャンや録音エンジニアを労うふりをしながら、レコーディング費用の中から食事代を捻出して人数分の松の重を頼んでみたりします(気前がいいDと思われたいので)。「そういえば昨日も超豪華焼肉弁当を食べたばっかりだった」というのを、うなぎを食べた後に思い出すような始末です。そして深夜にレコーディングが終わった後はみんなで朝まで酒を飲みに行き、始発で家に帰るかタクシーで帰るかに迷う。ひと眠りした後、12時頃(正午頃)に起きて会社へは行かずスタジオへ直行し、13時のレコーディングに間に合わせる。人としてどうかと言われても仕方ない状況でした。

自分自身を棚に上げてなんですが、長年思っていたことに、“医者の不養生”というのがあります。人に健康管理を推進する立場の医者がヘビースモーカーであったり、頂き物のお菓子を食べすぎて糖尿病になってしまったり、ということはよくあります。

このような、自ら経営危機に突っ込んでいくような行為を、私たちは(私だけかもしれない)なぜしてしまうのでしょうか?なぜ、という問いはナンセンスかもしれません。経済学でも「私たちの行動は、予想どおりに不合理」ということが分かっています。音楽Dは、まさに典型的な不合理行動をする職業なのではないかと思えるのです。しかし、私は音楽Dという職業をとても愛おしく思っています。ですから私は、元音楽ディレクターという肩書にこだわるのです。